執筆のために調査、入手しましたがあとがきで論じなかった部分の補足情報をここで提供します。本文に対する訳注の補足(追加)はこちらです。
『孤独なボウリング』邦訳刊行時点で、著者パットナムに同書の翻訳状況について問い合わせたところ、スウェーデン語、スペイン語、イタリア語、中国語、日本語への翻訳がなされ、また『哲学する民主主義』(Making Democracy Work)については、イタリア語、スペイン語、スウェーデン語、ポーランド語、ポルトガル語、ロシア語、カタロニア語、韓国語、ルーマニア語、ウクライナ語、日本語、中国語、リトアニア語、ペルシア語、セルビア-クロアチア語への翻訳が行われたとの情報をいただいています。
パットナムの主張がクリントン大統領の演説にも影響を与えたということは、以前からよく紹介されてきたことでした(例えば、池田謙一 『コミュニケーション』(2000年、 東京大学出版会)のp154「大統領の演説でも取り上げられ」等)。『孤独なボウリング』のあとがきでもその件について触れ、「パットナムが『ピープル』誌に夫人と写真入りで紹介されたこと、クリントン大統領の一般教書演説にも影響を与えたと伝えられることは、彼を紹介する際によく引かれる逸話である」としました。本訳に頂いた書評の中でもそれに触れられることが多く、根拠も無しに一人歩きすることも恐れ、訳者がそう解説することができると判断した資料について紹介します。
パットナムがキャンプ・デービッド(大統領山荘)に招かれ意見を求められたことは、本人自身が「本書の背景」で紹介している通りです(『ピープル』誌1995年9月25日号によると、1995年1月のこと)。そこでの議論が、クリントン大統領にも影響を与え、最終的に一般教書演説(State of the Union Address)の内容に影響したと言われます。そう直接的に論じているものとしては、例えば彼の母校スワスモア・カレッジのSwarthmore Bulletin 1997年9月号の記事(筆者は『アメリカン・プロスペクト』誌、『ニュー・リパブリック』誌スタッフ)、また『ワシントン・ポスト』紙の1995年2月3日の記事"The Lane Less Traveled: Can a Nations of Individuals Give Community a Sporting Chance?"などがあります。
これらによると、コミュニティの衰退に関して言及したクリントンの一般教書演説は、例えば1995年のものであろうと考えられます。そこでは『孤独なボウリング』のテーマと密接に関係するこのような言及があります(下線訳者)。
Our civil life is suffering in America today. Citizens are working together less and shouting at each other more. The common bonds of community which have been the great strength of our country from its very beginning are badly frayed. What are we to do about it?
(中略)
If you go back to the beginning of this country, the great strength of America, as de Tocqueville pointed out when he came here a long time ago, has always been our ability to associate with people who were different from ourselves and to work together to find common ground. And in this day, everybody has a responsibility to do more of that. We simply cannot want for a tornado, a fire, or a flood to behave like Americans ought to behave in dealing with one another.クリントンはコミュニティの重要性に関し、その後も一般教書演説で繰り返し触れていますし、また歴代大統領を集めたSummit for the America's Futureにも影響を与えているとされています(前述Swarthmore Bulletinより)。パットナムはその他にもブッシュ政権やブレア政権に対してもアドバイスをしています(公式ページより)。
本書にはアレクシス・ド・トクヴィル『アメリカの民主政治』からの引用が何回も見られます。全て訳者がパットナムの引いたもの(英訳底本)から直接訳したものですが、最終校正の段階で前後の文脈をふまえて正確を期すために、井伊玄太郎による(おそらく仏語底本からの)訳書(上〜下全三巻、講談社学術文庫)の該当箇所を探し適宜確認しました。当然訳文は全く異なりますが、読者の本書理解(またトクヴィル理解)のための一助として対応ページを示します。
- 第1章p22 --> 下巻p187
- 第3章p52 --> 下巻p200
- 第7章p137 -->下巻p226
- 第13章p264 --> 下巻p208
- 第16章p359 --> 上巻p161
- 第21章p414 --> 下巻p196
- 第21章p415 --> 中巻p47
- 第21章p416 --> 下巻p205
[「孤独なボウリング」論争の例]
パットナムが1995年に最初の"Bowling Alone"論考を提起してから、さまざまな議論が生まれました。本書はその内容もふまえた結果となっていますが、オンライン上で読めるそのような議論に、アメリカン・プロスペクト誌上でのものがあります。
- The Strange Disappearance of Civic America" by Robert D. Putnam (American Prospects, v7n24(1996))
[Unsolved Mysteries: The Tocqueville Files] (American Prospects, v7n25(1996))
- "What If Civic Life Didn't Die?" by Michael Schudson
- "Unravelling From Above," by Theda Skocpol
- "Couch-Potato Democracy?" by Richard M. Valelly
- Robert Putnam Responds
[Unsolved Mysteries: The Tocqueville Files II] (American Prospects, v7n26(1996))
- "Won't You Be My Neighbor," by William A. Galston
- "The Downside of Social Capital," by Alejandro Portes and Patricia Landolt